思い出を捨てずにモノだけ捨てる

おはこんばんにちは。MasaDoです。

 

僕は、断捨離が苦手です。そんな話です。

 

 

断捨離ができない

 

まず断捨離とは、「不要なものを手放し、モノへの執着をなくすこと」らしいです。

 

僕は、断捨離が苦手です。小中学校の教科書は全てとってありますし、昔自作ピタゴラ装置に使っていたガラクタもだいたい残っています。

 

では、なぜできないのか。その理由は僕の中では明確です。

 

懐かしいモノは思い出へのリンク

 

僕にとって思い出は財産です。

 

僕にとって記憶を思い出すきっかけを捨てることは、財産を失うことと同義なのです。

 

懐かしいモノを見たら思い出も芋づる式に思い出せる、というのはよくある話です。つまり懐かしいモノは思い出にアクセスするためのリンクといえるわけです。

 モノと思い出の関係の図解

 

モノの断捨離は思い出の断捨離?いや待てよ

 

物を捨てることで思い出へのリンクはなくなってしまいます。しかも次いつその思い出へのリンクが生じる出来事があるか分かりません。

 

つまり、物を捨てることは思い出という財産を無かったことにする行為...

 

 

そう思っていました。

 

しかし僕は気付きました。

 

思い出へのリンクになっているのは、モノではなくモノの外観なのだと。

 

モノから記憶を思い出すとき、たいてい僕は「目で外観だけ見て思い出している」のだと。

 

つまり、本の中身や手触りなど視覚以外で懐かしく感じている場合を除き、記憶を思い出すのに必要なものは「そのモノを撮った写真」で済むのです。

写真だけで済む

 

大量の学校教材と参考書を処分する決意

 

それに気づいた僕は、さっそくもう読まないであろう学校教材や参考書の写真を撮って、もう処分してしまう決意をしました。

ほぼ使わなかった青チャート

授業で解いていたCanPass物理

 

しかしここまできてまだしぶといのが僕の断捨離できない性格。

 

見返したい参考書をとっておくのはもちろん、教科書系はまだ一式全部取ってあります。

 

これでも頑張って処分した方なんで褒めてください...

 

ちなみに見返したい参考書とは、数・化は基礎問題精講、物理は物理のエッセンスです。

 

 

以上です。これ書くのに1時間半くらいかけており継続できるわけがないので、今後はもっと短くします。日記レベルの簡潔さにするつもりです。